バミューダトライアングル

ミューダトライアングルとは、フロリダ半島の先端とプエルトリコ、バミューダ諸島を結んだ三角地帯の海域である。
この三角地帯で、次々と船や飛行機が行方不明となる事件が相次ぎ、「魔の海域」として世間から注目を集めた。

1880年1月、イギリス海軍の船が乗員300人を乗せたまま行方不明となる事件が発生した。
場所はバミューダ島近郊の海である。
この事件がバミューダトライアングル失踪事件のはじまりである。

バミューダトライアングル事件で最も有名な事件は、1945年に発生したフライト事件である。
1945年12月5日、グラマン・アベンジャー雷撃機5機であるフライト19がフロリダ沖を飛行していた。
5機はバミューダトライアングル内に入ると、突然計器が狂いだし、現在地が示せない事態に陥った。
このことは管制塔とのやり取りで記録に残っており、異常事態が発生した事は間違いなく記録に残されている。
そして、フライト19から謎めいた報告が入った。
「いつもと海が違っている」「白い水が」
この報告を最後に、フライトからの連絡は途絶えた。
その後、アメリカのマーチン社が開発した輸送飛行艇、マーチン・マリーナ号が捜索に飛び立ったが、同機もこの海域で消息を絶った。
このニュースは全米各地で報道され、この事件をキッカケに「バミューダトライアングル魔の海域」が世界に知れ渡るようになった。

●単なるシケによる遭難事故説
ローレンス・D・クシュというアメリカ人の図書館員が、このバミューダ・トライアングルの謎について調査を開始した。
同氏の調査によれば、約50件と言われるバミューダトライアングルの失踪事件のうち、4分の1はこの海域でなかったとされた。
また、失踪事件があった日は、いずれもシケが物凄く、悪天候だった可能性が高い事もわかった。
つまり、バミューダトライアングルにおける失踪事件は、奇怪でもなんでもないただの遭難事故だと結論付けたのである。
もちろん、単なる一人の図書館員の研究に過ぎない為、信ぴょう性に欠ける点は否めない。

バミューダトライアングルにおける原因不明の失踪事件(一部)
1909年1月 ボルチモア号(アメリカ)
1918年3月 サイクロプス号(アメリカ海軍輸送船)
1920年   ヒューイット号
1920年4月 オブライエン号(アメリカ海軍駆逐艦)
1925年4月 来福丸(らいふくまる-日本)
1926年3月 サダフコ号(アメリカの貨物船)
1932年4月 ジョン&メアリー号(イギリス帆船)
1941年11月 プロテウス号
1949年4月 ワイルド・グース号
1950年6月 サンドラ号(スペインの貨物船)
1951年11月 サンパウロ号
1956年7月 ハウンティ号
1963年2月 マリン・サルファ・クイーン号(アメリカのタンカー船)
1965年6月 C119型輸送機(アメリカ空軍輸送機)
1966年12月 サザン・シティ号(メキシコの輸送船)
1967年3月 ヒーチクラプト双発機
1969年6月 セスナ172
1970年 ミルトン・イアリトリード号(フランス貨物船)
1971年9月 ファントムⅡF4ジェット
1973年 アニタ号(ドイツ貨物船)

●巨大クレーター説
最近になってノルウェー沖に広がるバレンツ海において、水深約46メートルの海域において直径800メートルにも及ぶ巨大クレーターが発見された。
ノルウェー沖にはメタンガスが大量に埋蔵されており、ガスが爆発を起こした事でクレーターができたと考えられている。
もし、爆発が頻繁に起きているならば、近くを通った船舶はひとたまりもないだろう。
ただ、疑問も残る
飛行機はどう説明するのか?
海面スレスレの低空飛行中に爆発が起きれば墜落もありえるが、そこまでの低空飛行はまず考えられない。

ただ、ロシア、トロフィミウク研究所の副所長イゴール・エリツォフ氏は、バミューダ海域における船舶の沈没においては、メタンガスが大量発生して海水と混ざると、船を沈める力が働くと結論付けた。
しかし、飛行機がなぜ消息を絶つのかについては言及しなかった。
仮説としては面白いが、決定的とはいえない説であることは否めないところだ。