切り裂きキャック事件

1888年、ロンドンのイースエンドという町で11人もの女性が襲われ、死亡するという事件が発生した。
11人の死亡者のうち、5人がバラバラに切り裂かれたというものである。
イースエンドはもちろん、イギリス全土を震撼させた恐怖の事件だが、最後まで犯人を見つけることはできず、迷宮入りとなった。

事件から120変以上経過した現在、衝撃的なニュースが飛び込んできた。
一報では「犯人が判明した」というものであったが、なんと事件そのものがなかったという驚くべき内容だったのである。
もともとこの事件は不可解な点が多かった。
事件発生当時、確かにある種の殺人事件はあったとされるが、その後の調査ではそれぞれが別の事件だったり、事件そのものがなかった案件すらあったのだ。

では、なぜこのような事件が独り歩きしてしまったのだろうか?
当時偶然発生した同類事件をマスコミなどが煽り、あたかも関連の事件であるかのような報道がとられ、世間もおもしろおかしく騒ぎ立てた。
このような話が連鎖して、あたかも同一人物による犯行のミステリアスな犯行として世間を震撼させる連続殺人事件として作り上げられてしまったのである。

切り裂きキャック事件

しかし、「犯人がついに判明した」という記事も見かけるのだが、これは一体どういう事だろうか?
記事によれば、DNA鑑定によって、ある人物が浮上し、ほぼ間違いないと断定されたとのことだ。
その犯人はポーランド系イギリス人の「アーロン・コスミンスキー」という男だ。
今回名前が挙がった男は、実は事件当時も一度は逮捕されている。
しかし逮捕のきっかけとなったのが目撃証言というだけで、証拠不十分として釈放されているのだ。
アーロンの犯人説は他にもあった。
この残忍な事件は殺害後にバラバラにされた上、内臓が取り出されるなどしている。
こうした事象から、犯人は医学的な知識を持った人間ではないか?という憶測が持ち上がっていた。
アーロンの職業は医師だったという噂があり、アーロン犯人説に拍車をかけたものだった。

とにもかくにも「犯人アーロン説」と「犯行そのものがデッチアゲ説」果たしてどれが正しい情報なのか?
未だに不可解な事件であることは間違いない。